「好き」ってなんでしょうか
投稿日 | : 2017/02/25 01:06 |
投稿者 | : ゆづ |
今日の運勢 2025年運勢
Re(No.6) | |
投稿日 | : 2017/02/27 20:48 |
投稿者 | : ゆづ |
>アインスさん
とっても丁寧なコメントをありがとうございます。
何度も読み返し、自分なりに噛み砕きながら大切に頂戴しました。
確かに人の心を明確な言葉で説明することは難しく、というより最早不可能なことなのかな、と思います。
でも、だからこそ考えているこの時間を楽しんでいるとも言えるかもしれません。
ゆっくりと大切に、いまの彼との人付き合いを続けていきたいです。
それが恋愛に結びつくかはわかりませんが、わたしにとって素敵な存在であることは変わらなさそうです。
Re(No.5) | |
投稿日 | : 2017/02/27 01:13 |
投稿者 | : アインス |
こんばんは。
「好き」、好きな気持ち、「恋」とは何か。改めて問われると、なかなか難しい問題だし、突き進めていくとちょっとした哲学的な問い掛け、にもなりますね。
今、ゆづさんはある人と、比較的親密なやり取りを交わしている。その最中、向こうの気持ちも良く分からないし、ゆづさん自身の気持ちもすこし曖昧として、判然としない。経験の量によってある感情に対する理解が深まるか否か、私には正直解りません。哲学的、と言いましたが、その哲学は数学やその他の分野と違ってはっきりとした証明手段はないそうですね。
多くの思索を巡らせて導かれたアイデアは、人それぞれの「解釈」に留まる。「心」(心理学は別として)にたいする理解に向けたアプローチもおなじです。脳のはたらきから生じる多様な感覚質は飽くまでその当事者、「個人」の実感によるもの。バレンタインに渡した、という「お菓子」の味は「それを食べた本人」のみ分かる。
例え「同じもの」をゆづさんが口に含み味わったとしても、それはゆづさんの、その時の感覚の領域で受け止められた内的な現象です。“完全に客観的に理解しえない”「心」。心のさまざまな動き、情動も例外ではなく、「好き」な気持ちにたいする万人が納得のいく定義も難しい、と。相手の心を自在に操る「惚れ薬」の創造も未だひとつの夢に留まっているようです。
感情や精神面に影響を与えるドーパミン、セロトニン、アドレナリン等、分子式に表せる神経伝達物質、は「モノ」ですが「心そのもの」ではないですね。これらの機能異常が精神疾患を引き起こす要因となるようですが、薬物療法は治療の唯一の手段ではないようです。いわゆるカウンセリングによる専門的な技術や知識をもちいた相談援助、など「対話」を前提とした“間接的”なアプローチもあります。“森田療法”などの「認知行動療法」も薬物をもちいずに、精神、内面にはたらきかける治療法です。
つまり「心」とは純粋な物質的存在として括られない、非常に抽象的な「何か」。・・・としか言いようがない謂わば概念のひとつに括られるようです。どうやらその“心”から生まれる「恋」もどんな「もの」か分からないし、結局やはり「モノ」でもない事。もし、私が今抱いている“意識”を「はい」・・・と取り出す事が出来るのであれば、それがどのような「モノ」か明らかにはなります。しかし私自身、醜いものかはたまた美しいものか、全く具体的には把握出来ず、これからも分かりそうにはありません。
いま、自立的な行動や反応を示すロボットや囲碁、将棋、チェスの名だたる達人を次々に打ち負かすAI(人工知能)が世界を席巻しています。これらは確かに凄まじい「能力」を備えているけれど、AIはAIを「好き」になる気配もなく、「人」と同様の“感情”の片鱗すら(現時点では)伺えない。そもそもAIは飽くまで「単体」であって「他の(個性ある)AI」を明確なかたちで区分けできず、認識にも及んでいません。まあ要するに「機械」に過ぎない「モノ」だから・・・ですね。
「モノ」は悩まないし、人のように「思いを巡らし」たりしません。ゆづさんは一方で、納得されるまで「悩んで」、考え抜いてみる試みが可能です。血の通った人間のユニークな特徴のひとつとして、「自らが自らの状態」について俯瞰的に捉える“能力”があります。すこし難しく「メタ認知」、と表わす概念です。
その反対、自らの感情を自覚、認識したり表現することが難しい概念を「アレキシサイミア 」・・・と表わし、いわゆる心身症との関連があります。また他者にたいして恒常的な恋愛感情や性に纏わる感情を抱かない“エイセクシャル”という性的指向に関する分類もあります。改めて人と人の心、とは異質な多様性を見せ、潜ませていますね。
いろいろ述べましたが、勿論、ゆづさんは飽くまでも健常かつ健全な精神を持つ方ですし、その上での自らの感覚について掘り下げ、今こちらで問い掛けている。
結局その理解、は困難を極めますが、時間的な制限が厳密に設けられている訳ではない以上、敢えて「ゆっくり」解きほぐすように考えてみるのも良い機会かもしれませんね。性質上、「人に幾ら」聞いても分からない事ですし、「答え」は自らが引き出す他はなさそうです。
もう一言添えておきます。
ゆづさんは今、胡乱としながらもとても「楽しげ」に見えますよ。そして相手の方とその関係をとても「大事」に思われている。
その感覚、気持ちにこそ掛け替えのない「価値」が潜んでいるのかもしれませんね^^
ゆづさんの導き出す「答え」。ゆづさんの望むものでありますように。
「好き」、好きな気持ち、「恋」とは何か。改めて問われると、なかなか難しい問題だし、突き進めていくとちょっとした哲学的な問い掛け、にもなりますね。
今、ゆづさんはある人と、比較的親密なやり取りを交わしている。その最中、向こうの気持ちも良く分からないし、ゆづさん自身の気持ちもすこし曖昧として、判然としない。経験の量によってある感情に対する理解が深まるか否か、私には正直解りません。哲学的、と言いましたが、その哲学は数学やその他の分野と違ってはっきりとした証明手段はないそうですね。
多くの思索を巡らせて導かれたアイデアは、人それぞれの「解釈」に留まる。「心」(心理学は別として)にたいする理解に向けたアプローチもおなじです。脳のはたらきから生じる多様な感覚質は飽くまでその当事者、「個人」の実感によるもの。バレンタインに渡した、という「お菓子」の味は「それを食べた本人」のみ分かる。
例え「同じもの」をゆづさんが口に含み味わったとしても、それはゆづさんの、その時の感覚の領域で受け止められた内的な現象です。“完全に客観的に理解しえない”「心」。心のさまざまな動き、情動も例外ではなく、「好き」な気持ちにたいする万人が納得のいく定義も難しい、と。相手の心を自在に操る「惚れ薬」の創造も未だひとつの夢に留まっているようです。
感情や精神面に影響を与えるドーパミン、セロトニン、アドレナリン等、分子式に表せる神経伝達物質、は「モノ」ですが「心そのもの」ではないですね。これらの機能異常が精神疾患を引き起こす要因となるようですが、薬物療法は治療の唯一の手段ではないようです。いわゆるカウンセリングによる専門的な技術や知識をもちいた相談援助、など「対話」を前提とした“間接的”なアプローチもあります。“森田療法”などの「認知行動療法」も薬物をもちいずに、精神、内面にはたらきかける治療法です。
つまり「心」とは純粋な物質的存在として括られない、非常に抽象的な「何か」。・・・としか言いようがない謂わば概念のひとつに括られるようです。どうやらその“心”から生まれる「恋」もどんな「もの」か分からないし、結局やはり「モノ」でもない事。もし、私が今抱いている“意識”を「はい」・・・と取り出す事が出来るのであれば、それがどのような「モノ」か明らかにはなります。しかし私自身、醜いものかはたまた美しいものか、全く具体的には把握出来ず、これからも分かりそうにはありません。
いま、自立的な行動や反応を示すロボットや囲碁、将棋、チェスの名だたる達人を次々に打ち負かすAI(人工知能)が世界を席巻しています。これらは確かに凄まじい「能力」を備えているけれど、AIはAIを「好き」になる気配もなく、「人」と同様の“感情”の片鱗すら(現時点では)伺えない。そもそもAIは飽くまで「単体」であって「他の(個性ある)AI」を明確なかたちで区分けできず、認識にも及んでいません。まあ要するに「機械」に過ぎない「モノ」だから・・・ですね。
「モノ」は悩まないし、人のように「思いを巡らし」たりしません。ゆづさんは一方で、納得されるまで「悩んで」、考え抜いてみる試みが可能です。血の通った人間のユニークな特徴のひとつとして、「自らが自らの状態」について俯瞰的に捉える“能力”があります。すこし難しく「メタ認知」、と表わす概念です。
その反対、自らの感情を自覚、認識したり表現することが難しい概念を「アレキシサイミア 」・・・と表わし、いわゆる心身症との関連があります。また他者にたいして恒常的な恋愛感情や性に纏わる感情を抱かない“エイセクシャル”という性的指向に関する分類もあります。改めて人と人の心、とは異質な多様性を見せ、潜ませていますね。
いろいろ述べましたが、勿論、ゆづさんは飽くまでも健常かつ健全な精神を持つ方ですし、その上での自らの感覚について掘り下げ、今こちらで問い掛けている。
結局その理解、は困難を極めますが、時間的な制限が厳密に設けられている訳ではない以上、敢えて「ゆっくり」解きほぐすように考えてみるのも良い機会かもしれませんね。性質上、「人に幾ら」聞いても分からない事ですし、「答え」は自らが引き出す他はなさそうです。
もう一言添えておきます。
ゆづさんは今、胡乱としながらもとても「楽しげ」に見えますよ。そして相手の方とその関係をとても「大事」に思われている。
その感覚、気持ちにこそ掛け替えのない「価値」が潜んでいるのかもしれませんね^^
ゆづさんの導き出す「答え」。ゆづさんの望むものでありますように。
Re(No.4) | |
投稿日 | : 2017/02/26 17:22 |
投稿者 | : ゆづ |
>シンさん
コメントありがとうございます。
なるほど、そういう見方もありますね。
わたしはまだまだ経験値が低い(というかほぼない笑)ので、とりあえずもう少しくらいはそのロマンチックさに夢見ていようかなぁ、なんて考えています。
Re(No.3) | |
投稿日 | : 2017/02/26 11:59 |
投稿者 | : シン |
恋愛とは、お互いの利害関係をただロマンチックに包んだくだらないもの。
Re(No.2) | |
投稿日 | : 2017/02/25 10:13 |
投稿者 | : ゆづ |
>ゆめさん
早速のコメントありがとうございます。
理屈先行で考えてしまうからいつまで経っても恋愛ができないのかもしれないなぁなんて思いつつ、そういう分析すら理屈っぽくて嫌になっていた頃でしたので、あたたかいメッセージをいただけて嬉しいです。
相変わらず恋なのか確証は得られていませんが、その答えを見つけたいからこそまず彼のことを恋愛として見てみるのもいいのかもしれないな、と考えさせられました。
Re恋とは何か(No.1) | |
投稿日 | : 2017/02/25 08:48 |
投稿者 | : ゆめ |
恋って、なんでしょうか
私も、はっきりとは分からないかもしれません
でも、友達や芸能人が好きなのと、恋愛として好きなのをあげるとしたら、いつまでもそのかたといたい、ってことでしょうか
そのかたのために、何かしたい、というのは、友達にもあるかもしれませんが、ふときづいたら、そのかたのことを考えている、とか
それでも、人それぞれ、恋の形は違うはずですから、とりあえず、そのかたを恋愛として見てみる、でもいいのでは?
何も役に立てずすみませんが、言えるのはこれだけです
私も、はっきりとは分からないかもしれません
でも、友達や芸能人が好きなのと、恋愛として好きなのをあげるとしたら、いつまでもそのかたといたい、ってことでしょうか
そのかたのために、何かしたい、というのは、友達にもあるかもしれませんが、ふときづいたら、そのかたのことを考えている、とか
それでも、人それぞれ、恋の形は違うはずですから、とりあえず、そのかたを恋愛として見てみる、でもいいのでは?
何も役に立てずすみませんが、言えるのはこれだけです
バイト先の同い年の男性のことが気になっています。
その人のことは初対面のときからなんとなく印象がよくて、ぼんやりとですがいいなぁと思っていました。
バレンタインにお菓子を渡したところ彼からお礼のLINEが届き、そこから少しずつですが今もやり取りが続いています。脈ナシ、ではないと思いたいです。
そんな彼のことを好きなのかなぁ、と思うのですが、あれこれ考えているうちに「好き」がなんなのかよくわからなくなってしまいました。
恥ずかしながらわたしはもうハタチになるのに交際経験が一切なく、人を好きになったことはありますがそれも小学生のおままごとみたいな片想い止まりのものです。
友人は好きになったらキスしたり、それからもっと先のこともしたくなる!と言うのですが、わたしは今のところその彼とキスしたいといった感情を抱いたことはありません。
ただなんとなく、LINEの返信が来ると幸せだし、会えて喋れたら嬉しいです。でもそれが、友達に対して抱く感情と何が違うのかはわかりません。
仕草がかわいいなぁとも思います。でもそれが、好きな芸能人に対して抱く感情と何が違うのかはわかりません。
「好き」になるってなんでしょうか?
恋ってどんなものですか?