誰も付き合いたいと思ってくれない
投稿日 | : 2015/10/25 09:09 |
投稿者 | : もちこ |
今日の運勢 2025年運勢
Re(No.8) | |
投稿日 | : 2015/10/29 23:40 |
投稿者 | : アン |
もちこさんと、同じ年の者です。
私も、もちこさんと同じこと考えてます。
でも思ったことは、「他人を気にしすぎてしまって
自分をもってない」てことなんでは?
他人にいい顔して、ホテルに連れていかれて、やって
振り回されて、それで終わり。
そうではないでしょうか?
本当にその人に気がありますか?気がないのに、誘われた
ら、身体まで預けちゃうのですか?
いい女は、プライドが高いです。
自分自身が主体です。
他人の顔を伺いすぎてはダメですよ。!
Re(No.7) | |
投稿日 | : 2015/10/29 23:04 |
投稿者 | : アインス |
こんばんは。途中からすみません。
服装に関しては同じ女性の方のご意見がより明確で的確な参考にはなりますから、私は差し控えるべきですが精神的な面、考え方について続けて意見を差し上げたいと思います。
もちこさんはすこしご自身に対して否定的に捉えていますが、「モテて」ちやほやとされて嬉しくない人間はいませんし、何かしら有頂天にもなりますよ。もちこさんはだから殊更に尊大でも傲慢でもないし、真摯な自省の精神もきちんと持たれている。本当です。
「過去の経験」としての失敗、失敗談(とご自分で思う出来事、嘗ての心境)は勿論、無駄でも無意味でもありません。様々な経験を今後に「活かす」為にも自省の心がけが不可欠となる、と。
そうですね。自省、反省材料として挙げていた「男慣れ(という印象)」と言えば率直に思い浮かべて女性としての「色気」に繋がるし、ある意味で本質をついている。「色気」とは性的な面を持ち指し示すものです。寧ろ「性」そのものの体現と言い切れる。そして現行の社会においては「性」は隠すべき、忌むべき対象として見做されがちです。
故に性、色気を強く匂わす存在に対して大抵は快く思ず、批判的な拒絶反応を示す。拒絶、拒否反応に基づく断固とした「統制」行動もしばしば実施される。“風紀の乱れ”を正す為に学校等の公共の場、施設で執り行われる「服装検査」はその代表例、でしょうか。
蓋を開けてみると「制服」はおろか「私服」も共に有形無形の視線、手段対応を介して厳しいチェック、検閲を実際には日々受けている。或いは時に的外れも甚だしい妙な誤解も受け、あれこれとちょっかいを出されたり。中々に気は抜けません。
批判批評、偏見の対象に上がりがちな服装、スタイル、ファッション。それらは文字通り“スタイリッシュ”を理想として、実際に目指している。目指す意図や対象への関心を持った視線、目線には「色気」が必ずと言って良い程含まれている。と私は思いますけど。
「どうしようもなくダサく垢抜けない」服装は、スタイリッシュで先鋭的な感覚から著しく離れているし、最早“ファッション”でも何でもない。地味、はまだ良いとしても野暮、にはなりたくはないし思われたくもない。普通は誰でもそう思うもの、ではないんですかね。
そして「色気」は夫々の性別によって意味合いが異なり別れるもの。男には男の味わい、色気を求め、女性はまた女性なりの特色を醸し出し引き出していくもの。所謂「露出」も余程過度、過激でない限りは“スタイル”の一環でしょう。
まあ、私も、一応男なので(何度もすみませんが)膝上からかなり上げたスカート、ミニスカートですか。見ていて正直ドキドキと気分は高まりますよ。でも対象の女性を「露出狂」だとは(当然ながら)全く思いません。何故なら衣服として身に纏う以上の他意について無粋な勘繰りもおかしな想像もしない為です。
その衣服、ミニスカートは1965年に催されたオートクチュールコレクション(現在はパリ・コレクション)で、アンドレ・クレージュというフランス人のファッションデザイナーによって発表され、マスメディアから大いに好評を得たそうです。一方である意味皮肉な事にその当のオートクチュールの世界では保守的に酷評を下した。あの“ココ・シャネル”でさえ「膝を丸出しにしてみっともない」と容赦なく糾弾したとの事。
マスメディア、ファッション業界の相克を尻目に世間一般の女性たちは並々ならぬ興味を示し、自らのファッションとして積極的に取り入れはじめ、やがて一大ブームを迎えた。当時の女性たちの素早く柔軟な反応は、実は“ストリートファッション”での土台が整っていた為、と言われています。
ストリートファッション、とは(ご存知かもしれませんが)所謂公の場ではない一般の街から生まれたファッションに関する文化を差します。オートクチュール等の“プロ”の集う場、環境で展開される独特の装いは対して“ハイファッション”と称するそうですね。
当時の日本も、世界規模の流行を受ける形で各アパレルメーカーがミニスカートをこぞって取り扱っていった。そして67年に来日したスーパーモデル、ツィッギーによる一種の啓蒙活動によってブームは頂点に達しました。状況が落ち着きを見せた後も途絶える事なく寧ろ日常的な服装のひとつとして普遍化し現在に至っています。まあもちこさんも一度も身に着けた事が無い、訳でもないものかと。
ストリートファッションの場からハイファッションの場への浸透。或いはその逆。影響と普及の方向は如何あれ、大衆の本音としての巨大な総意は強固な風潮となって爆発的に拡散し、そして強かに風習として定着する。既成事実は「有無を言わせない」最強とも言うべき切り札、でしょうか。
60年代、と言えば50年近く前に遡って既に当時の多くの若い女性が「刺戟的」、見方によっては扇情的なスタイルに身を包み「青春を謳歌」していたんですよね。服装、出で立ちひとつ取っても歴史の積み重ねはあるもので一朝一夕には成り立たない。考えや意識、常識さえその都度柔軟に、しかも止め処なく変化し常に流動的なうねりを見せます。
価値観とは相対的な視点、なんですよね。他者の様相、様子にたいして「見せつけている」、過度な誇示と思う人もいるし、「ファッション」の一環として認め見做す方もいる。実際に「着ている」或いは「着こなしている」当事者、は概ね共通した意識を持っていて相応に意識はしている。要するに「見せたい」。
不特定多数か個人か対象の範囲はその都度異なりつつも、ともあれ「誰か」を予め想定してはいる。「ファッション」とは取りも直さずそのような性質、意義を持つ振る舞いではないか、と。
そして「ファッション」は本質的、基本的に「楽しい」ものです。見る側も見せる側も、様々な観点、意図から楽しみたいという意識を持ち、前提条件としての(良い意味での)一般論、建前に確り根ざしている。
その一般論に対する「意見」なんです。「口さがない」人の意見、批評は大抵辟易し、耳を閉ざしたい。極端なほどあからさまなお世辞は論外として、「好意的」な反応を先ず人は求め、そして励みとするものです。もちこさんの仰る「ちやほや」とは言い換えれば「好意」の反映であり、表れです。
そこでもちこさんは「他意」を感じてしまわれた。俗に言う「下心」、ですよね。(女性にとって特に)「よこしま」な感情、やましく浅ましい本心を隠して近付いた。表向きは恐らく極めて「爽やか」な態度でそれこそ「着飾って」いるので尚の事性質が悪く、始末にも負えない。まあ実態が露わになった時点で心穏やかではいられない、と言ったところですか。
心穏やかでない当の本人たるもちこさんは、あろうことか今までの相手のみならず「自分自身」の存在意義さえ疑い、挙げ句に否定的な観念にさえ捉われ、理不尽な閉塞感に見舞われた。私から伺う限り、その現状の内面はまさしく「理不尽」だと感じられます。
もちこさんの取る如何なる恰好も、如何なる振る舞いも異性にたいする媚びでは全くありません。今、この瞬間「媚びたくない」ともちこさんご自身が強くそのように望んでいる。そんなもちこさんに「言い寄る」も「言い寄らない」も全く「相手の都合」の範疇で義務もなく義理もない。手前勝手で無理解な相手には軽く一瞥して「勝手にしやがれ(というフランス映画がある)」と気持ち良く啖呵を切りたいところ。肘鉄でも良いですけどね。
狭義の「ファッション」は服装のコーディネートやデザインです。広義の「ファッション」は人の“生き方”であり生き様です。女と男。夫々の性を起点とする「ライフスタイル」とそれに基づく拘りなり信念がある。各々の心の世界、個々の経験、人生観、価値観を完全否定出来る権利等誰も持てないし、初めから持ち得ません。
ファッション業界の関係者、デザイナーはことごとく「軽い」軽薄な気質の持ち主では決してなく、皆真剣に生きている。その多くが精力的な創造、創作活動に勤しみ各々の「志」と生き様を貫いている。
「軽い(軽々しい」か「重い(重みがある)」かは、自分自身で判断すべき事柄であり感覚です。今まで積み重ねてきた経験や知識をフルに動員して懸命に考え抜き、至った理解と自覚こそ紛れもない「答え」ですね。
だからもちこさんにはもちこさんの、もちこさんだけの「答え」解答がある筈ですし、ご自身で見出す「義務」がある。まあちょっと格好つけて言うと「自分が自分で」ある為の務め、と言えましょうか。
「格好をつけるな」と時々耳にしますが、格好つけ、カッコツケってそんなに悪いですかね?見栄え良くしたい、カッコつけたいって誰もが“本当は”思っているのにおかしい話ですよね。そもそも本音と建前はかなり複雑に絡み合い、良くも悪くも干渉し合って世の中を席巻している。カメレオンの体色のように目まぐるしい状況、目線にまともに取り合っては切りがない。「色気」があって良いじゃないですか。「女性らしい」スタイルも結構。「自分らしさ」を最大限アピールするまさに格好の手段です。
誰の為でもない、「自分の為」の人生ですからね。顔「色」なんて一々窺う必要も、意味もない事です。最新流行の出で立ちに執心する安直なファッショニスタとも一線を引く。「誰かの目」は一先ず脇に置いておく。「私の思う」もちこさんではなく「自分が思い描き受け入れる」もちこさんが他の誰でもないご自身のあるべき、求めるべき姿です。だからこれ以上、気に病まないで下さい。どうぞ存分に「磨き上げた自分」を上手く引き出して下さい。
「ファッション」、スタイルってそういうものだと、私は思うんですけどね。ほんのちょっと袖触れあう形で相談を受け持った身としてお節介ながら、もちこさんらしいもちこさんでいて欲しいし、是非拘って頂きたいですね。
その先に見える「カッコいい女性」であるもちこさん。
私は先ず憧れますよ。そんな気風の良い洗練された女性にね。
と、思ってます。
服装に関しては同じ女性の方のご意見がより明確で的確な参考にはなりますから、私は差し控えるべきですが精神的な面、考え方について続けて意見を差し上げたいと思います。
もちこさんはすこしご自身に対して否定的に捉えていますが、「モテて」ちやほやとされて嬉しくない人間はいませんし、何かしら有頂天にもなりますよ。もちこさんはだから殊更に尊大でも傲慢でもないし、真摯な自省の精神もきちんと持たれている。本当です。
「過去の経験」としての失敗、失敗談(とご自分で思う出来事、嘗ての心境)は勿論、無駄でも無意味でもありません。様々な経験を今後に「活かす」為にも自省の心がけが不可欠となる、と。
そうですね。自省、反省材料として挙げていた「男慣れ(という印象)」と言えば率直に思い浮かべて女性としての「色気」に繋がるし、ある意味で本質をついている。「色気」とは性的な面を持ち指し示すものです。寧ろ「性」そのものの体現と言い切れる。そして現行の社会においては「性」は隠すべき、忌むべき対象として見做されがちです。
故に性、色気を強く匂わす存在に対して大抵は快く思ず、批判的な拒絶反応を示す。拒絶、拒否反応に基づく断固とした「統制」行動もしばしば実施される。“風紀の乱れ”を正す為に学校等の公共の場、施設で執り行われる「服装検査」はその代表例、でしょうか。
蓋を開けてみると「制服」はおろか「私服」も共に有形無形の視線、手段対応を介して厳しいチェック、検閲を実際には日々受けている。或いは時に的外れも甚だしい妙な誤解も受け、あれこれとちょっかいを出されたり。中々に気は抜けません。
批判批評、偏見の対象に上がりがちな服装、スタイル、ファッション。それらは文字通り“スタイリッシュ”を理想として、実際に目指している。目指す意図や対象への関心を持った視線、目線には「色気」が必ずと言って良い程含まれている。と私は思いますけど。
「どうしようもなくダサく垢抜けない」服装は、スタイリッシュで先鋭的な感覚から著しく離れているし、最早“ファッション”でも何でもない。地味、はまだ良いとしても野暮、にはなりたくはないし思われたくもない。普通は誰でもそう思うもの、ではないんですかね。
そして「色気」は夫々の性別によって意味合いが異なり別れるもの。男には男の味わい、色気を求め、女性はまた女性なりの特色を醸し出し引き出していくもの。所謂「露出」も余程過度、過激でない限りは“スタイル”の一環でしょう。
まあ、私も、一応男なので(何度もすみませんが)膝上からかなり上げたスカート、ミニスカートですか。見ていて正直ドキドキと気分は高まりますよ。でも対象の女性を「露出狂」だとは(当然ながら)全く思いません。何故なら衣服として身に纏う以上の他意について無粋な勘繰りもおかしな想像もしない為です。
その衣服、ミニスカートは1965年に催されたオートクチュールコレクション(現在はパリ・コレクション)で、アンドレ・クレージュというフランス人のファッションデザイナーによって発表され、マスメディアから大いに好評を得たそうです。一方である意味皮肉な事にその当のオートクチュールの世界では保守的に酷評を下した。あの“ココ・シャネル”でさえ「膝を丸出しにしてみっともない」と容赦なく糾弾したとの事。
マスメディア、ファッション業界の相克を尻目に世間一般の女性たちは並々ならぬ興味を示し、自らのファッションとして積極的に取り入れはじめ、やがて一大ブームを迎えた。当時の女性たちの素早く柔軟な反応は、実は“ストリートファッション”での土台が整っていた為、と言われています。
ストリートファッション、とは(ご存知かもしれませんが)所謂公の場ではない一般の街から生まれたファッションに関する文化を差します。オートクチュール等の“プロ”の集う場、環境で展開される独特の装いは対して“ハイファッション”と称するそうですね。
当時の日本も、世界規模の流行を受ける形で各アパレルメーカーがミニスカートをこぞって取り扱っていった。そして67年に来日したスーパーモデル、ツィッギーによる一種の啓蒙活動によってブームは頂点に達しました。状況が落ち着きを見せた後も途絶える事なく寧ろ日常的な服装のひとつとして普遍化し現在に至っています。まあもちこさんも一度も身に着けた事が無い、訳でもないものかと。
ストリートファッションの場からハイファッションの場への浸透。或いはその逆。影響と普及の方向は如何あれ、大衆の本音としての巨大な総意は強固な風潮となって爆発的に拡散し、そして強かに風習として定着する。既成事実は「有無を言わせない」最強とも言うべき切り札、でしょうか。
60年代、と言えば50年近く前に遡って既に当時の多くの若い女性が「刺戟的」、見方によっては扇情的なスタイルに身を包み「青春を謳歌」していたんですよね。服装、出で立ちひとつ取っても歴史の積み重ねはあるもので一朝一夕には成り立たない。考えや意識、常識さえその都度柔軟に、しかも止め処なく変化し常に流動的なうねりを見せます。
価値観とは相対的な視点、なんですよね。他者の様相、様子にたいして「見せつけている」、過度な誇示と思う人もいるし、「ファッション」の一環として認め見做す方もいる。実際に「着ている」或いは「着こなしている」当事者、は概ね共通した意識を持っていて相応に意識はしている。要するに「見せたい」。
不特定多数か個人か対象の範囲はその都度異なりつつも、ともあれ「誰か」を予め想定してはいる。「ファッション」とは取りも直さずそのような性質、意義を持つ振る舞いではないか、と。
そして「ファッション」は本質的、基本的に「楽しい」ものです。見る側も見せる側も、様々な観点、意図から楽しみたいという意識を持ち、前提条件としての(良い意味での)一般論、建前に確り根ざしている。
その一般論に対する「意見」なんです。「口さがない」人の意見、批評は大抵辟易し、耳を閉ざしたい。極端なほどあからさまなお世辞は論外として、「好意的」な反応を先ず人は求め、そして励みとするものです。もちこさんの仰る「ちやほや」とは言い換えれば「好意」の反映であり、表れです。
そこでもちこさんは「他意」を感じてしまわれた。俗に言う「下心」、ですよね。(女性にとって特に)「よこしま」な感情、やましく浅ましい本心を隠して近付いた。表向きは恐らく極めて「爽やか」な態度でそれこそ「着飾って」いるので尚の事性質が悪く、始末にも負えない。まあ実態が露わになった時点で心穏やかではいられない、と言ったところですか。
心穏やかでない当の本人たるもちこさんは、あろうことか今までの相手のみならず「自分自身」の存在意義さえ疑い、挙げ句に否定的な観念にさえ捉われ、理不尽な閉塞感に見舞われた。私から伺う限り、その現状の内面はまさしく「理不尽」だと感じられます。
もちこさんの取る如何なる恰好も、如何なる振る舞いも異性にたいする媚びでは全くありません。今、この瞬間「媚びたくない」ともちこさんご自身が強くそのように望んでいる。そんなもちこさんに「言い寄る」も「言い寄らない」も全く「相手の都合」の範疇で義務もなく義理もない。手前勝手で無理解な相手には軽く一瞥して「勝手にしやがれ(というフランス映画がある)」と気持ち良く啖呵を切りたいところ。肘鉄でも良いですけどね。
狭義の「ファッション」は服装のコーディネートやデザインです。広義の「ファッション」は人の“生き方”であり生き様です。女と男。夫々の性を起点とする「ライフスタイル」とそれに基づく拘りなり信念がある。各々の心の世界、個々の経験、人生観、価値観を完全否定出来る権利等誰も持てないし、初めから持ち得ません。
ファッション業界の関係者、デザイナーはことごとく「軽い」軽薄な気質の持ち主では決してなく、皆真剣に生きている。その多くが精力的な創造、創作活動に勤しみ各々の「志」と生き様を貫いている。
「軽い(軽々しい」か「重い(重みがある)」かは、自分自身で判断すべき事柄であり感覚です。今まで積み重ねてきた経験や知識をフルに動員して懸命に考え抜き、至った理解と自覚こそ紛れもない「答え」ですね。
だからもちこさんにはもちこさんの、もちこさんだけの「答え」解答がある筈ですし、ご自身で見出す「義務」がある。まあちょっと格好つけて言うと「自分が自分で」ある為の務め、と言えましょうか。
「格好をつけるな」と時々耳にしますが、格好つけ、カッコツケってそんなに悪いですかね?見栄え良くしたい、カッコつけたいって誰もが“本当は”思っているのにおかしい話ですよね。そもそも本音と建前はかなり複雑に絡み合い、良くも悪くも干渉し合って世の中を席巻している。カメレオンの体色のように目まぐるしい状況、目線にまともに取り合っては切りがない。「色気」があって良いじゃないですか。「女性らしい」スタイルも結構。「自分らしさ」を最大限アピールするまさに格好の手段です。
誰の為でもない、「自分の為」の人生ですからね。顔「色」なんて一々窺う必要も、意味もない事です。最新流行の出で立ちに執心する安直なファッショニスタとも一線を引く。「誰かの目」は一先ず脇に置いておく。「私の思う」もちこさんではなく「自分が思い描き受け入れる」もちこさんが他の誰でもないご自身のあるべき、求めるべき姿です。だからこれ以上、気に病まないで下さい。どうぞ存分に「磨き上げた自分」を上手く引き出して下さい。
「ファッション」、スタイルってそういうものだと、私は思うんですけどね。ほんのちょっと袖触れあう形で相談を受け持った身としてお節介ながら、もちこさんらしいもちこさんでいて欲しいし、是非拘って頂きたいですね。
その先に見える「カッコいい女性」であるもちこさん。
私は先ず憧れますよ。そんな気風の良い洗練された女性にね。
と、思ってます。
Re(No.6) | |
投稿日 | : 2015/10/27 00:44 |
投稿者 | : もちこ |
そらさん
こんにちは。
服装は一般的な女子大生が着るような感じです。
肌の露出は足やたまに肩を出す程度で、そこまで多くはないと思います。
化粧はどちらかというと薄めです。加えて黒髪なので幼く見られます。
性格は確かに明るくて話しやすいとよく言われます。男慣れしてるね、とか。
そらさんの言う通り、めんどくさくない女かもしれません。
男性ってこういうもんだ、と悟ってるといいますか…。
Re(No.5) | |
投稿日 | : 2015/10/26 14:09 |
投稿者 | : そら |
こんにちは
友達と違う点…
もちこさんを見ることができないので想像
でしかかけないのですが、
例えば、
服装が少し派手で肌の露出が多い
お化粧が派手
気軽に明るくサバサバしている
と想像します。
気軽に声をかけて後腐れなく面倒くない女性
に見えるのかもしれません。
だから同じようにClubでナンパされても友達
とは違う結果になるのではないでしょうか。
もし服装が想像と違うなら、性的な魅力が
凄くあるのかなと思います。フェロモンとか?
性的な感じで見られたくないのに見られる要因
があるかもしれません。
アドバイスする上で上記の服装や性格が気になる
のでよければ教えてください。
友達と違う点…
もちこさんを見ることができないので想像
でしかかけないのですが、
例えば、
服装が少し派手で肌の露出が多い
お化粧が派手
気軽に明るくサバサバしている
と想像します。
気軽に声をかけて後腐れなく面倒くない女性
に見えるのかもしれません。
だから同じようにClubでナンパされても友達
とは違う結果になるのではないでしょうか。
もし服装が想像と違うなら、性的な魅力が
凄くあるのかなと思います。フェロモンとか?
性的な感じで見られたくないのに見られる要因
があるかもしれません。
アドバイスする上で上記の服装や性格が気になる
のでよければ教えてください。
Re(No.4) | |
投稿日 | : 2015/10/26 13:48 |
投稿者 | : もちこ |
返信ありがとうございます。
温かいお言葉に救われました。
ただ、私はアインスさんがイメージするような良い人間ではないことは私が一番わかっています。
こうやってここで文章化して、アドバイスをいただいて自分を見つめ直すことでたくさん気づきがありました。
これからも前向きに自分を磨き続けたいと思います。
本当にありがとうございました(^_^)!!
温かいお言葉に救われました。
ただ、私はアインスさんがイメージするような良い人間ではないことは私が一番わかっています。
こうやってここで文章化して、アドバイスをいただいて自分を見つめ直すことでたくさん気づきがありました。
これからも前向きに自分を磨き続けたいと思います。
本当にありがとうございました(^_^)!!
Re(No.3) | |
投稿日 | : 2015/10/25 18:29 |
投稿者 | : アインス |
こちらこそ丁寧な返信、どうもありがとうございます。
端的に言いますと今置かれている現状ははっきり言って「ひどい」、と思います。ひどいのはもちこさんではありません。偏にその「相手」ですよ。余程のっぴきならない事情があるならいざ知らず、既に彼女がいる。・・・それ、一般に、「二股」、ですよね。
留学中だか何だか知りませんが、いや“留学中”で離れているからこそ、その隙を狙ってもちこさんに言い寄った、としか思えませんけど。目茶苦茶ですよ。と、私は言いたいし、一体人の、もちこさんの気持ちや立場を何だと心得ているのか甚だ理解しがたいものがあります。
最早「成果」云々の話ではないですよ。もちこさんはひとつも悪くも落ち度もないからです。只管無体で無軌道で無分別な(と言い切りますが)“意中の相手”に心を痛めているだけです。理不尽とさえ言えます。結構ストレートに私は立腹しています。釈然としない、のではなく全く許せない話です。
足りないのは「研鑽の心がけ」ではなく単に「相手の配慮」思い遣りです。そんな方とは一刻も早く縁を切った方が良い。「都合が良い」等という下心があれば尚の事言語道断です。私の率直な本心としては「胸ぐらをつかみ殴りたい」程です。「お前ふざけんな」、と言いたい。
もちこさんにはもっともちこさんに相応しい相手、絶対いますよ。今の片思いされている相手はあんまりふざけすぎています。と、私は思います。
確かにね、私も片思いをしている相手に色んな意味で意識、はしているし、それは正直体の関係だって含んでいます。一応私も男、なので・・・。すみません。
でもだからと言って「それだけ」ではないし、「それ以上」を求めます。
気持ち、心を尊重したいし敬いたい。
大事にするってそういう事だと私は思うんですが、それが「違う」と言うのであれば、人が人である、人らしくある意味などない、と私は思います。
もちこさん、そんな方、そんな方々にどうぞ「負けない」で下さい。ご自身の心と体を芯から大事にする相手、をどうぞ見つけて下さい。そして必ず心ある「相手」はいると私は断言します。大丈夫です。私にもそれだけ気を配って丁寧な返事を綴るもちこさんともちこさんの心はとてもすっきりとしていて健全です。どうぞ、自信を持たれて下さい。
もちこさんは絶対に「遊ばれる」存在ではないです。ちゃんと「自立した大人の女性」です。その上でこれからもご自分を磨かれて、その魅力を存分に引き出して下さいね。
感情的な物言いですみませんが、敢えて添えておきます。
端的に言いますと今置かれている現状ははっきり言って「ひどい」、と思います。ひどいのはもちこさんではありません。偏にその「相手」ですよ。余程のっぴきならない事情があるならいざ知らず、既に彼女がいる。・・・それ、一般に、「二股」、ですよね。
留学中だか何だか知りませんが、いや“留学中”で離れているからこそ、その隙を狙ってもちこさんに言い寄った、としか思えませんけど。目茶苦茶ですよ。と、私は言いたいし、一体人の、もちこさんの気持ちや立場を何だと心得ているのか甚だ理解しがたいものがあります。
最早「成果」云々の話ではないですよ。もちこさんはひとつも悪くも落ち度もないからです。只管無体で無軌道で無分別な(と言い切りますが)“意中の相手”に心を痛めているだけです。理不尽とさえ言えます。結構ストレートに私は立腹しています。釈然としない、のではなく全く許せない話です。
足りないのは「研鑽の心がけ」ではなく単に「相手の配慮」思い遣りです。そんな方とは一刻も早く縁を切った方が良い。「都合が良い」等という下心があれば尚の事言語道断です。私の率直な本心としては「胸ぐらをつかみ殴りたい」程です。「お前ふざけんな」、と言いたい。
もちこさんにはもっともちこさんに相応しい相手、絶対いますよ。今の片思いされている相手はあんまりふざけすぎています。と、私は思います。
確かにね、私も片思いをしている相手に色んな意味で意識、はしているし、それは正直体の関係だって含んでいます。一応私も男、なので・・・。すみません。
でもだからと言って「それだけ」ではないし、「それ以上」を求めます。
気持ち、心を尊重したいし敬いたい。
大事にするってそういう事だと私は思うんですが、それが「違う」と言うのであれば、人が人である、人らしくある意味などない、と私は思います。
もちこさん、そんな方、そんな方々にどうぞ「負けない」で下さい。ご自身の心と体を芯から大事にする相手、をどうぞ見つけて下さい。そして必ず心ある「相手」はいると私は断言します。大丈夫です。私にもそれだけ気を配って丁寧な返事を綴るもちこさんともちこさんの心はとてもすっきりとしていて健全です。どうぞ、自信を持たれて下さい。
もちこさんは絶対に「遊ばれる」存在ではないです。ちゃんと「自立した大人の女性」です。その上でこれからもご自分を磨かれて、その魅力を存分に引き出して下さいね。
感情的な物言いですみませんが、敢えて添えておきます。
Re(No.2) | |
投稿日 | : 2015/10/25 17:31 |
投稿者 | : もちこ |
ご丁寧な回答、心から感謝します。
頷けるところが沢山ありモヤモヤが少し晴れたのと同時に、見ず知らずの私にここまで親身に回答してくださる方がいることに感動しました。
>そこで私は「はて・・・?」とちょっと首を傾げます。何故ならば「特に今好きな対象」が存在せず、しかも現在進行形で「自分を磨いて」いるから。それは普通は「前向きな向上心」に根ざすものであり、殊更に気落ちする必要も落ち込む理由もない。・・・のではないかと。
ここのところに私の方で不足がありました。
つい最近、とても魅力的だと思う方に出会い、片思いしていました。
彼は私に興味がとてもあるように見せ、すごく熱心に口説いてきました。
しかし具体的なところまでは踏み込んでこないなあと思って少し調べたところ、彼にはイギリスに留学中の彼女がいるようでした。
そんな出来事があり、ふと自分の恋愛を振り返ったら、確かに両思いも何度かありましたが、こういった思わせぶりな片思いが何度もあったなあと思い、私は所詮、いくら自分を磨いても遊び相手にしかなれないんだなあと、自分の無力と不運を嘆いた次第です。
確かに自分磨きや成長はマイナスにはならないとはわかっているのですが、どうせ成果が得られないのなら…と不貞腐れている状態だと思います。こんなに努力してるのに、求められるのは私自身じゃなくて身体だけで。私にはいわゆる心磨きが足りないんですかね…。
頷けるところが沢山ありモヤモヤが少し晴れたのと同時に、見ず知らずの私にここまで親身に回答してくださる方がいることに感動しました。
>そこで私は「はて・・・?」とちょっと首を傾げます。何故ならば「特に今好きな対象」が存在せず、しかも現在進行形で「自分を磨いて」いるから。それは普通は「前向きな向上心」に根ざすものであり、殊更に気落ちする必要も落ち込む理由もない。・・・のではないかと。
ここのところに私の方で不足がありました。
つい最近、とても魅力的だと思う方に出会い、片思いしていました。
彼は私に興味がとてもあるように見せ、すごく熱心に口説いてきました。
しかし具体的なところまでは踏み込んでこないなあと思って少し調べたところ、彼にはイギリスに留学中の彼女がいるようでした。
そんな出来事があり、ふと自分の恋愛を振り返ったら、確かに両思いも何度かありましたが、こういった思わせぶりな片思いが何度もあったなあと思い、私は所詮、いくら自分を磨いても遊び相手にしかなれないんだなあと、自分の無力と不運を嘆いた次第です。
確かに自分磨きや成長はマイナスにはならないとはわかっているのですが、どうせ成果が得られないのなら…と不貞腐れている状態だと思います。こんなに努力してるのに、求められるのは私自身じゃなくて身体だけで。私にはいわゆる心磨きが足りないんですかね…。
Re(No.1) | |
投稿日 | : 2015/10/25 15:05 |
投稿者 | : アインス |
こんにちは。
ダイエット、化粧、ファッションにそしてコミュニケーション。色々とこまめにそして一生懸命に努力を重ねられていますね。掲げた理想に向かってあれこれと手間ひまかけて、研鑽を積む。一般に言う「自分磨き」・・・、ですか。
拝見した文面からはもちこさんは女性としての魅力、それも一定以上の水準の魅力を備えられている方。と私はお見受けします。今現時点までひっきりなし、ほぼ途切れる事ない、今までの経緯は確かにひとつの自負、自信にも繋がります。普通に考えて。
もちこさんの自信はご自身の「気付き」、ある種の自覚によって突然亀裂が入りそしてもちこさんは少々狼狽と失望をされている。原因、をそれでも懸命に探りつつ不本意な現状の打破を同時に進めてもいる。胸中に渦巻くその葛藤の解消を図るかたちで「彼氏」の存在を求めている。少なくとももちこさんはそう願われているのですね。
こうして今お話ししている私もちょっとした恋愛に纏わる悩みを抱えていて、解決はしていない。基本「片思い」の立場で相手の反応を伺いそして待っている。私の立場と重ね、もちこさんのお気持ちについて共感はします。
異なる点は、私は端からもちこさんが持つ(持たれていた)その「自負」への自覚が大分希薄である事。そして「相手」が今実際に存在している事、です。もちこさんは正確には「片思い」に悩まれている立場でも状況でもない。
「想定すべき未来・この先」についてのご相談。それは此方の掲示板の本来の目的と照らし合わせて「場違い」だとは私は無論思っていませんし、立派な訴えのひとつです。他に適当な相談場所がなく、消去法として一先ず書き込まれている。
「正当性」のあるその主張。大手を振って胸を張る内容でも同時に(当然ながら)ない。出来れば、と言うより“絶対に”あって欲しくないし煩わしいうえに疎ましい。先立つ感情は取りも直さず「嫌」な気持ち、嫌悪感にしめられて心は鬱々として一向に楽しめない。
そこで私は「はて・・・?」とちょっと首を傾げます。何故ならば「特に今好きな対象」が存在せず、しかも現在進行形で「自分を磨いて」いるから。それは普通は「前向きな向上心」に根ざすものであり、殊更に気落ちする必要も落ち込む理由もない。・・・のではないかと。
磨く、と言えば私は時間を見つけて清掃や雑用に取り組みますが、終わった時、綺麗に片付くなり、整った様子を見て気分良いですよ。実にスッキリと爽快な達成感に満たされます。自己満足の範疇でも一向に差し障りはありません。端から「自己満足」だと理解している為です。「自分の為」の行動であり他意はない(多分)。
もちこさんは如何でしょう。磨く先に見据えているのは果たして「自分自身」、でしょうか。それとも他の何方、「理想の相方」頭に思い描くパートナーでしょうか。どちらにせよ、もちこさんは満たされてはいない。周囲の「涼しい顔をした見栄えの良い」女性、同性のお友達の「成果」に対してもやもやと嘆息し、羨んでいる。
そうですね。「自分を磨いて」その挙げ句暗くなるくらいならいっそ「自転車を磨いて」心身をリフレッシュした方が無難で健全だと思いますけど。勿論何も自転車でなくても良い訳です。台所の流しや、洗面台なり風呂場なり磨く。
無心に磨いて、例えば各場の水栓のつるつると滑らかに輝く鏡の様な表面に映り込む「自分」をじっと見ている内に何か「気付く」かもしれない。今までと違う世界観なり人生観、と言うべきものに触れて意識上の刷新を図って自身の「見方」を変えてみる。
今までの「自負」が逆に奇妙な足かせとなってご自身とご自身の心を縛り付け、行動半径が狭まり硬直化している懸念もないとは言えませんし、いい意味で「開き直って」は如何でしょう。すこし言い方を変えると「開放的」に振る舞う、或いは心の解放、ですかね。
もちこさんも女性として色々な思い、拘りをお持ちだと思いますし、その分気苦労もされている。沽券や矜持も勿論そう簡単には捨てられない。まあ誰でも同じ、ですね。
今までの自分、は「今」の自分自身、現時点でのもちこさんに当然繋がっているし、嘘でも虚像でもありません。「どう見るか、感じるか」その都度の考え方、視点で単に評価や印象が異なるだけ、だと思います。要するに何時でも「自分は自分」だし、他の何物でもない。
紛れもない他に変わりようのない自分、という主体の「変化」、は促されますよ。お分かりのように時の流れと共に変化する身体と共に精神的な変化も連綿と遂げていく。
その変化、を自らの健全な目的意識、自己研鑚に繋げていく意識が即ち「成長」だと思いますけど。今実行されている「自分磨き」も、成長する、進歩に向けた行為のひとつではあります。しかしその「方向性」、視点、見方、捉え方によって一見すると同じ行いも大分様相が変わる。
ちょっと難しく言うと「克己」の心構え、その在り方ですか。ご自身の様々な側面、特徴、性質性格を穏やかな気持ちで見据えて、そして受け入れ、更に前に進んでいく。ひとつひとつの自らが掲げた「課題」をクリアし、新しい視野、領域へと踏み込む。
求める対象は飽くまで「自分自身」、己であって「相手」ではない。「好きな」相手に対しては磨き上げた眼力でその「良さ・長所」をするどく洞察し、見出す事。それが「好意」の本質、ではないかと。ご自分の「価値」と相手の「価値」を掘り下げ、認め合い、そして高めていく事が「交際」の本質。
それが「成長」でありまた「自分磨き」の本質だと、私は思います。
長くなりましたけど、最後に一言。繰り返してもちこさんは今までがそうであるように、「魅力」を人としても、そして女性としてもきちんと持たれているのではないでしょうか。ただご自身の持つ魅力の「本質」に気付いていないだけだと思います。
もちこさんの「明るいこれから」、私も祈っています。
ダイエット、化粧、ファッションにそしてコミュニケーション。色々とこまめにそして一生懸命に努力を重ねられていますね。掲げた理想に向かってあれこれと手間ひまかけて、研鑽を積む。一般に言う「自分磨き」・・・、ですか。
拝見した文面からはもちこさんは女性としての魅力、それも一定以上の水準の魅力を備えられている方。と私はお見受けします。今現時点までひっきりなし、ほぼ途切れる事ない、今までの経緯は確かにひとつの自負、自信にも繋がります。普通に考えて。
もちこさんの自信はご自身の「気付き」、ある種の自覚によって突然亀裂が入りそしてもちこさんは少々狼狽と失望をされている。原因、をそれでも懸命に探りつつ不本意な現状の打破を同時に進めてもいる。胸中に渦巻くその葛藤の解消を図るかたちで「彼氏」の存在を求めている。少なくとももちこさんはそう願われているのですね。
こうして今お話ししている私もちょっとした恋愛に纏わる悩みを抱えていて、解決はしていない。基本「片思い」の立場で相手の反応を伺いそして待っている。私の立場と重ね、もちこさんのお気持ちについて共感はします。
異なる点は、私は端からもちこさんが持つ(持たれていた)その「自負」への自覚が大分希薄である事。そして「相手」が今実際に存在している事、です。もちこさんは正確には「片思い」に悩まれている立場でも状況でもない。
「想定すべき未来・この先」についてのご相談。それは此方の掲示板の本来の目的と照らし合わせて「場違い」だとは私は無論思っていませんし、立派な訴えのひとつです。他に適当な相談場所がなく、消去法として一先ず書き込まれている。
「正当性」のあるその主張。大手を振って胸を張る内容でも同時に(当然ながら)ない。出来れば、と言うより“絶対に”あって欲しくないし煩わしいうえに疎ましい。先立つ感情は取りも直さず「嫌」な気持ち、嫌悪感にしめられて心は鬱々として一向に楽しめない。
そこで私は「はて・・・?」とちょっと首を傾げます。何故ならば「特に今好きな対象」が存在せず、しかも現在進行形で「自分を磨いて」いるから。それは普通は「前向きな向上心」に根ざすものであり、殊更に気落ちする必要も落ち込む理由もない。・・・のではないかと。
磨く、と言えば私は時間を見つけて清掃や雑用に取り組みますが、終わった時、綺麗に片付くなり、整った様子を見て気分良いですよ。実にスッキリと爽快な達成感に満たされます。自己満足の範疇でも一向に差し障りはありません。端から「自己満足」だと理解している為です。「自分の為」の行動であり他意はない(多分)。
もちこさんは如何でしょう。磨く先に見据えているのは果たして「自分自身」、でしょうか。それとも他の何方、「理想の相方」頭に思い描くパートナーでしょうか。どちらにせよ、もちこさんは満たされてはいない。周囲の「涼しい顔をした見栄えの良い」女性、同性のお友達の「成果」に対してもやもやと嘆息し、羨んでいる。
そうですね。「自分を磨いて」その挙げ句暗くなるくらいならいっそ「自転車を磨いて」心身をリフレッシュした方が無難で健全だと思いますけど。勿論何も自転車でなくても良い訳です。台所の流しや、洗面台なり風呂場なり磨く。
無心に磨いて、例えば各場の水栓のつるつると滑らかに輝く鏡の様な表面に映り込む「自分」をじっと見ている内に何か「気付く」かもしれない。今までと違う世界観なり人生観、と言うべきものに触れて意識上の刷新を図って自身の「見方」を変えてみる。
今までの「自負」が逆に奇妙な足かせとなってご自身とご自身の心を縛り付け、行動半径が狭まり硬直化している懸念もないとは言えませんし、いい意味で「開き直って」は如何でしょう。すこし言い方を変えると「開放的」に振る舞う、或いは心の解放、ですかね。
もちこさんも女性として色々な思い、拘りをお持ちだと思いますし、その分気苦労もされている。沽券や矜持も勿論そう簡単には捨てられない。まあ誰でも同じ、ですね。
今までの自分、は「今」の自分自身、現時点でのもちこさんに当然繋がっているし、嘘でも虚像でもありません。「どう見るか、感じるか」その都度の考え方、視点で単に評価や印象が異なるだけ、だと思います。要するに何時でも「自分は自分」だし、他の何物でもない。
紛れもない他に変わりようのない自分、という主体の「変化」、は促されますよ。お分かりのように時の流れと共に変化する身体と共に精神的な変化も連綿と遂げていく。
その変化、を自らの健全な目的意識、自己研鑚に繋げていく意識が即ち「成長」だと思いますけど。今実行されている「自分磨き」も、成長する、進歩に向けた行為のひとつではあります。しかしその「方向性」、視点、見方、捉え方によって一見すると同じ行いも大分様相が変わる。
ちょっと難しく言うと「克己」の心構え、その在り方ですか。ご自身の様々な側面、特徴、性質性格を穏やかな気持ちで見据えて、そして受け入れ、更に前に進んでいく。ひとつひとつの自らが掲げた「課題」をクリアし、新しい視野、領域へと踏み込む。
求める対象は飽くまで「自分自身」、己であって「相手」ではない。「好きな」相手に対しては磨き上げた眼力でその「良さ・長所」をするどく洞察し、見出す事。それが「好意」の本質、ではないかと。ご自分の「価値」と相手の「価値」を掘り下げ、認め合い、そして高めていく事が「交際」の本質。
それが「成長」でありまた「自分磨き」の本質だと、私は思います。
長くなりましたけど、最後に一言。繰り返してもちこさんは今までがそうであるように、「魅力」を人としても、そして女性としてもきちんと持たれているのではないでしょうか。ただご自身の持つ魅力の「本質」に気付いていないだけだと思います。
もちこさんの「明るいこれから」、私も祈っています。
21歳の女です。
彼氏は高校生の時からほぼ途切れずにいましたが、最近別れました。
私はそこそこモテると思っていました。
街を歩いたりbarに行ったり合コンに行ったりすると
必ず複数人に声をかけられて、LINEを聞かれます。
常に入れ替わりで2~3人からデートに誘われて、
車を出してもらって、食事をおごってもらって、ちやほやされて…。
本当に恥ずかしながら調子に乗っていました。
ただ、最近やっと気付いたんです。
モテるわけじゃなくて気軽な女なんだ、と。
その証拠に今まで誰からも付き合ってほしいと言われたことはありません。
代わりに家に呼ばれたりラブホに誘われたりはほぼ毎回あります。
出会う場所が場所だからでしょ、と言っても同じ合コンで友達は真剣なお付き合いを始めたり、clubでナンパしてきた人と付き合ったりしています。
私はそこまで自分を魅力的だと思っていません。
だからメイクもがんばったし、ダイエットも頑張ったし、服装もだいぶ垢抜けてると思うし、コミュニケーションも気遣いも人並み以上にはできている、できるようになったと自負しています。
だからこれ以上どうしたらいいのかわかりません。
これだけ努力しても良い男を涼しい顔をしてとっていく可愛い子がたくさんいます。
整形でもしようかなと本気で思ってます。
もう男性の欲の対象に見られるのは疲れました。
付き合いたい、手に入れたいと思われたいです。
どうしたらいいのでしょうか。。