片思い悩み相談(恋愛相談)
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fld_nor.gif 接点がない人を好きになってしまいました。
投稿日 : 2015/11/23 01:33
投稿者 ゆうか
他大学の人を好きになってしまいました。
こんにちは、大学2回生のゆうかと申します。
他大学の4回生の方を好きになってしまいました。
吹奏楽をやっているのですが、その方の大学と合同でコンサートを今年だけ行うことになり、打ち上げでは少しお話させていただいて、とても素敵な人だったので忘れられず、好きになってしまいました。
合同コンサートは終わってしまいましたが、その方を含め多くの知り合いが参加しているボランティアの学生団体に私も参加することにしました。その団体は月一度活動しますが学年別なのでほとんど接点がありません…。
私から見て、人気もありそうな方ですし、どうしようもない思いです。
ガンガン行って引かれてしまうのも怖いし…、などと考えてしまいます。
私は女子中学、高校出身、現在も女子が多い環境で恋愛経験がほとんどありません、今回も、これが好きっていうことか…と思ったほどです…。
友人などには駆け引きだと言われますが全くうまくできないと思います。
どうしたら自然と近くに行けて、できればうまくいくでしょうか。
悩んでいます、知恵を貸していただきたいです。

今日の運勢 2025年運勢
 Re(No.1)
投稿日 : 2015/11/23 21:44
投稿者 アインス
こんばんは。

「接点がない」とタイトルとしても強調して挙げられていましたけど、既に立派な接点をお持ちだと私は思いますよ。

接点とは即ち相談内容にも触れられていた「吹奏楽」です。

そもそも吹奏楽のコンサート、を介して他の大学のしかも学年の異なる意中の方を知られ、そして会話を交わした。何れも「接点」ある故の切っ掛けでしょう。

そういう意味ではお悩みは解消されてますが、ただゆうかさんの仰りたい、意図するところの接点とは、コンサートで知り合ってからのお話しには集約されているのでしょう。端的に出来るだけ親しく密接な関係を構築し、首尾よく交際に至る道筋をつけたい・・・と。

当初の「接点」、は全くの偶発的な事態であり「不意の出来事」、ですね。謂わば彼は「突然現れた」。そして現れてしまった彼はゆうかさんにとって「意中の相手」となってしまった。

まあ、面白い、というと大変語弊があるのですが、実は見知らぬ人との邂逅とは概ね「突発的」で不如意な側面を湛えていますね。「どんな人」と出くわすか正確な予想が出来ないし、出くわした対象が「どんな人」、かも分からない。獲得し得るその時点での確かな“情報”は有態に「外見」が第一です。その後の関わり方、距離感や間合いによって次第に外見以外の特徴要素を知り得、やがて名実、自他共に「知り合い」となる。場合によってはそれ以上の親密な関係を結び築かれていくもの。ですね。

ご家族以外のゆうかさんと親しく接している方々、との経緯もそう上記と大差も違いもない筈だと私は思いますが。人は様々な「接点」を通して人と出会い、知り合って規模の大小に関わりなく夫々の極めて自覚的な「コミュニティ」を形成する行動を連綿と紡いでいく存在とも言えますね。

私の申し上げるコミュニティ形成に関する「自覚」、とはつまり対象の認識に関する有無です。文字通り「知り合う」からこそ仲間、同胞、そして友達、として受け入れ認める。

人、は他者との関係によって人あり得る。同性でも異性でも、その内容の如何に関わらず全ては「関係」でしょうと。ゆうかさんはゆうかさんとしての自己を実現されている、アイデンティティーを確立されているのは今に至る人生の軌跡に基づいた経験によって培われた結果に直結しているし、経験は幾つもの事態、環境との関わりや他者との交わりの過程とも言えます。

今、ゆうかさんには「意中の方」がいる。意中、という言葉表現は辞書によると「心の中でひそかに思いさだめている人、特に結婚相手として恋しく思っている異性」、とあります。

流石にゆうかさんは結婚まで考えている訳ではないと思いますが、何れにせよ強く思い慕う意識は持たれている。思慕の念を発端とする「恋愛」も第三者と相対する要素を含む関係性を持つ、「対人関係」の一つの形ではありますね。

ならば既に多数の方との親しき「関係」を持たれ、尚且つ維持されているゆうかさんがその成就に向け為すべきはご自身の経験の「応用」でしょう。間合いを詰め、親しみの度合いを高めていく今までの「要領」の延長線として捉え、積極的に手を打っていく。恐らくはゆうかさんも「分かっては」いるのでしょう。

「分かって」いながらも何故か二の足を踏む。ゆうかさんはお友達のかける発破に耳を傾けつつも尚、躊躇されている。

何故でしょうね・・・。その疑問に関する結論を先ず述べると偏に「恥ずかしい」某かの羞恥心を、ゆうかさんは持たれている為、とお察しします。

人が人を好きになる気持ちは至極当たり前の感情で、だからこそ此方の掲示板でも主旨に基づいた活発な主張、意見が日々交わされています。私も恋愛に纏わる悩みを此方に寄せ、相談を持ちかけた経緯があります。それだけ普遍的である筈の感情が何故か「大っぴら」には中々言えず、相手によっては言い淀んでしまう。

言い淀み、言い辛い感情が即ち「羞恥心」の裏返しであり、原因では、あるのでしょう。

構えたり、弁えてみたり、反発してみたり、強がってみたり、殊更に否定に走ったり。その「本心」とは別の行動を“つい”取ってしまう。ある種の社会常識とも言える対極の意向なり反応はとても皮肉な事に各々、個々の人となり、人格に連なる件の「関係性」と「経験」の反映を含んでいる。「人(第三者)の目」によって行動の指針を定め、時に人はブレーキをかける。

人は普通、恥かしく思われたくはないし、後ろ指を指されない為に日々あれこれと腐心します。卒なくこなし済ませたい気持ち、心がけが時に崩れるケースの筆頭が「恋愛」沙汰ですね。飽くまで「澄まし顔」を維持しながら、体面を保ちながらの「片思い」の成就は中々難しいものです。

結局は、ゆうかさんの気持ちの切り替え次第だと思いますよ。時にはお友達の協力を仰ぎながら、敢えて「ガンガン」進めていく。その「経験」を足枷とせず、最大限有効活用しながら結果を厭わず邁進する、という事です。

社会的、精神的なしがらみに捉われたままでは現状は打破出来ませんし、今この時点でご自身の気持ちに向き合って、真摯な自問自答に務めてみては如何でしょう。「上手くやる」、卒のない段取りはすこし厳しく言えば所詮は「傷つきたくない」自己保身に纏ろう建前論。「自然な振る舞い」はだから「都合の良い対処」に過ぎない・・・と。

もう一つ。

本当は、ゆうかさんはご自身が思われている以上に多くの方々と多くの「接点」を持たれているんですよ。ただ何らかの接触に至り、果たしながらも意識の奥に仕舞い込まれて表には殆ど現れない。「知り合う」契機もその進展もゆうかさんの(そして相手の方の)「視点、目線」を基準としているんです。

偶発的な要素端緒を必然へと絡ませていく。“接点”の本質とは「訪れるもの」ではなく「(個々の意識で)作り、生み出されるもの」ではないか、と。ゆうかさんの積み上げた経験は、受け身の産物ではなく能動的な“巡り合わせ”を介して「作った」結果、だと私は思います。

だから待つのではなく、敢えて動いてみる。委縮し躊躇う気持ちに封をする。自らの意識によって生まれた折角の「接点」を敢然と推し進め一層の「接近」を試みていく。

すこし具体的には、例えば(実情が分からないので飽くまで一例ですが)意中の方がコンビニなりスーパーのバイトをされているのであれば、「利用客」として話を切り出してみる。等のアプローチ、でしょうか。

目下のゆうかさんの課題として考えてみては如何でしょう。

長くなりましたが、此方から私も応援しています。

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