「カーネーション」孫の小篠ゆま(小島藤子)
朝ドラ「カーネーション」 主役交代から早10日。
まだ慣れない。 先入観は捨てよう、未練は捨てよう、と頑張っているんだけど、 どうしても夏木マリさんは、湯婆婆にしか見えないの。
たぶん、ここ笑うところなんやろな、とわかっていても笑えないの。 演じる人が違うだけで、こんなに変わるもんなんだろうか。 音楽も、演出も、脚本も、全く同じなのに、何かが微妙に違う。 この微妙な違いは、関西弁だけの問題なんだろうか?
関西人の大部分は、「アホ」は愛情表現やと思てるんやろ? これって、受け止める側の問題だとずっと思ってました。 関西人やから「アホ」に理解があるんやと思ってました。
でも、違う。 誰が「アホ」と言うかも関係ある。あるんです。 長年、使い慣れてる人の「アホ」は違います。 「アホ」の中に、「好きや」とか「心配や」とか入れられます。 「アホ」の中に、愛情を込められるから、 「アホ」の中に、「愛情」を感じるんであって、 見よう見まねの「アホ」では「愛情」はなかなか入らんみたい。 「アホ」は深い。深いわ。
夏木さんが一生懸命なのは伝わってくるんやけど、 彼女の「アホ」には、どんな気持ちが入ってるか見えないの。 夏木さんの「アホ」は「アホ」にしか聞こえなくて。こわい。 何かそんなアホなことを思いながら見ていた10日間でした。
でも、今日(135話)は、ひさしぶりにおもしろかったです。
怪我して弱気になった糸子。 祖母を思い遣る孫。 娘やから言えてしまうデリカシーのない助言。 年寄り扱いされることの惨めさ。 みんなが、それぞれ「らしくて」、みんなに共感できた。 ひさしぶりに物語に集中できた感じです。
年を取るということは、当たり前にできることができない。 その情けなさに耐えること。 今できていることも、この先どんどんできなくなっていく。 その恐さに耐えること。
年取ることも切ないけど、 大家族からひとり暮らしになるのも寂しいな。
戦前と比べたら、ずっと自由で暮らしやすくなりました。 嫁姑問題は少なくなったし、独身でも形見狭くないし、 どんな格好してても怒られないし、食べたい物がいつでも食べられる。 でも、家族のあり方だけは、 戦前のほうがよかったのかなぁと思うことがあります。
不良になってしまった孫の里恵(小島藤子)。 優等生に育った長女の優子(新山千春)。
娘を不良にした優子は、「お母ちゃんより愛情を注いで育てたのに〜」 と嘆いていたけど、優子には、おばあちゃんや昌ちゃんや恵さんや北村がいて、 母親が教育に無関心でも、周りに愛情注いでくれる人がたくさんいたからね。 職場と家は同じで、仕事している母の背中をちゃんと見ているし。
でも、理恵は働いている母の姿は見てないだろうし、 母親と一緒にいる時間も少なそう。やっぱり寂しいんやと思うよ。 今の理恵には、親の背中じゃなくて、親のエゴしか見えてないんだと思う。
ところで、小島藤子演じる小原理恵のモデルである 小篠ゆまさんのサイトに、こんなお知らせがありました。
3月に入りまして、劇中にて主人公・糸子の孫が登場しましたところ、 皆様から数多くのお声が寄せられておりますが、 ドラマはフィクションであり、実際の事実とは異なります。
どうやらドラマはかなり脚色されているようで、 本人はヤンキーではなかったみたいです。 わざわざお知らせするんだから、すごい反響なんだろうね。
(追記) コシノヒロコさんがスタジオパークで、娘(ゆま)の話をしてました。 娘がヤンキーに描かれていることをヒロコさんは笑って話してたけど、 娘(ゆま)は本気で怒ってるみたい。 「ヤンキーなんかなってない、 ママのこと大好きだったのに、いやや〜」と。 でも、不登校になったのは事実で、 お祖母ちゃんがあずかってくれたのも事実なんだって。 子どもの頃からファッションの仕事を見ている娘は、 勉強がアホらしくなり、学校をサボり倒すようになり、 「このままでは卒業できません」と学校から言われたみたい。 ヒロコさんから相談を受けた、お祖母ちゃん(綾子)は、 「岸和田で一からしごいてやる」と連れて帰ったそうです。
【朝ドラ】カーネーションの感想
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