明治維新後の篤姫(天璋院)の暮らしぶり
ダイヤモンドの特集が面白かったです。 特集のテーマは、「歴史」を知れば経済がわかる!
★経営者達が、好きな歴史人物から学んだことを語っていたり、 ★来年(2009年)から3年かけてNHKでドラマ化される 司馬遼太郎の「坂の上の雲」が経営者から愛される理由や ★信長、秀吉、家康から学ぶビジネスヒント ★昔と今の歴史教科書の内容の違い ★世界の石油支配者の変遷 ★もし坂本龍馬が営業マンだったら・・・なんて話や ★天璋院篤姫の大河ドラマで描かれていない裏話 などなど多岐にわたり書かれていました。
今、歴史ブームなんだそうです。 ビジネスマンだけでなく、若い女性に戦国武将が人気なんだとか。
ビジネス誌の歴史ブームは1980年代にもありました。 その頃のターゲットは昭和一桁生まれのビジネスマン。 戦前の歴史教育を受け、歴史に対する関心が高い層でした。 しかし、戦後教育の影響を大きく受けた団塊世代は歴史への興味が低く、 歴史はビジネス誌のテーマとして受け入れられなくなりました。 そして、その団塊世代が一線を退いたことで、 また歴史ブームが熱気を帯びているようであります。
学生の頃は歴史に興味はあまりなく、大河ドラマは観ていたけど、 学校で教えられる歴史は、好きじゃありませんでした。 暗記ばっかりだったし、近代史は大人の事情で流されるし。 だから、大人になってからのほうが歴史は面白いです。 やっぱり勉強は自分からしたい思う気持ちが大切なんだろうね。
今が旬の篤姫の裏話は、特集の中で光ってました。 篤姫が家定の正室になった理由はいろいろな説があります。 そのいろいろの説は省き(雑誌には書かれてます)、 越前福井藩主・松平春嶽の日記に残っていた 島津斉彬が篤姫を選んだ理由がよかったです。 「於一というのは人間がいい。 人の悪口を言わず、いつも笑みを絶やさない。 心がゆったりしていて物事に動じない」 まさに「薩摩おごじょ」そのものの女性でした。 とのこと。やっぱり素晴らしい女性だったようです。 於一の性格は私の理想であります。
明治維新や明治維新後の篤姫の様子も書かれていて、 大奥に天璋院と和宮がいなければ、内乱は全国で多発し、 明治維新は10年は遅れていたと専門家は見ていました。
明治時代の篤姫は、徳川宗家16代・家達(亀之助)を養育しましたが、 育てたことも凄いんだけど、もっと凄いと思ったのは、 家達の子の「家正」と、薩摩藩主・島津忠義の娘「正子」を結婚させたこと。 篤姫は子どもを生むことができなかったけど、 最後はこうして薩摩の血を徳川家に残し、命を繋いでいました。 偶然なのか計算なのかわからないけど、やり手のおごじょであります。
江戸城を離れてからの篤姫は、千駄ヶ谷で暮らしたそうです。 近所に住んでいた勝海舟と仲良しだったみたいで、 あちこち一緒に出かけ、吉原遊郭の見学もしたそうであります。
篤姫の元には、毎年、島津家から高額の年俸が届いていました。 しかし、「徳川の嫁だから」と受け取らなかった篤姫。 亡くなられたときは、手元に3円しかなかったそうです。 どんなに貧しくても、最後まで「女の道は一本道」を通されたんですね。
と、ここまでのエピソードは知っていましたが、この先ははじめて。 なんと薩摩から送られていたお金は勝海舟が預かっていたようで、 そのお金の行方には、ちょっとがっかりしました。微笑ましいけど。 そんな裏話も書かれていて楽しく読ませていただきました。
大河ドラマももうすぐ終わりです。 明治時代の篤姫がどんな風に描かれるのか楽しみになりました。
大河ドラマ「篤姫」の感想
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